区のみどころ

明治七年町名改正により旧中西町・福岡町・富田町・八幡小路の一部が合併し鹿島区となった。現在では、町並み資料館。花水木(ハナミズキ・元第2保育園)=農産物販売と一休み。地蔵のお堂(2カ所)。人情あふれる静かな区です。

宮津から敦賀に至る基幹街道「旧丹後街道」の町並みが続き、放生祭当日には、軒先の提灯が灯りその風情は格別です

出し物の由来

文政年間の小浜祇園祭礼絵巻では中西町神楽太鼓として、行列には、ばちを持った大人子供が10人、赤布を垂らし顔の見えない笛方が7人、神楽屋台は前後2人によって担がれ先屋台は描かれていない。その優美な囃子は代々誇り高く伝承され、先達としての役目を果たしている。現在の屋台と原寸図は、文久3年(1863年)に製作されたもので。明治7年に町割り改正により中西町、福岡町、富田町、八幡小路の一部が鹿島区となり現在も保管、継承されている。

出し物のみどころ

神楽囃子の「揚げばい」、「布袋」、「兵蔵」、「ほうえん祭」、「津島」、「掛け合」、「唐子」、「明月」、「吉田」、「乱笛」は道行きとして演奏され、宮入り時と鹿島本陣のみで囃子「攻め」が笛の音と大小の太鼓が三位一体となり奏でた時に感動を覚える。八幡神宮に奉納する「三輪」は小太鼓と笛で奏でる奥深い曲で小太鼓の所作が難しく曲そのものが凛とした調べを奏でる。

私と放生祭

武部邦雄(68歳)

稽古する広い場所がなかった頃、区内の妙興寺の本堂などをお借りし毎日の稽古をしていました。子供の稽古が終わると連れ立って「おっさん、かぐらのけいこにきれおくれ~」と大声を張りあげ区内にふれまわり、本稽古の期間に入ると一斗缶から煎餅を5、6枚もらって喜んでいたことが思いだされます。団塊の世代の私が子供の頃は区内には子供がゴロゴロいましたので太鼓をたたかせてもらえる回数は毎日わずかだったように思います。

いつの時代でも祭り大好き人間や、笛や大太鼓、小太鼓の名人がいて、囃子の呼吸が合わず、ああでもない、こうでもないとやりあい、囃子がピタッと合った時の華麗な神楽囃子を求めて、祭りに取り組んできたように思います。青年時代まで本稽古では、区内を7組に分け、毎日稽古道具を移動させ、個人宅の店の間、中の間、奥の間を開放していただき、格子越しに熱い視線のなか稽古したことが懐かしく思い出されます。緊張の中での本稽古のおかげで神楽を覚えられたと思います。区民のみなさんの協力と応援で神楽をつないでこれたと感謝でいっぱいです。

今後どこの区でも人口減等で祭りの維持が大変になっていくと想像されますが、協力と知恵を振り絞り、鹿島の神楽囃子の継続を望むばかりです。

鹿島区