区のみどころ

小浜の町の西に位置し、海岸道路に面している。昔は、大工・鍛冶屋・車屋等、家内工業的職人が多く住んでいた町です。また、格子戸の家も存在し落ち着いた雰囲気の町並みです。明治 7年の町名改正以前は、文殊丸町 54戸と浜浦町 61戸より成り立ち 3月に 115戸をもって貴船区となった。現在では、空洞化が進み 39戸になっています。しかし、ここ貴船区を含めて、小浜西組が重伝建地区に指定されn以降歴史的景観を求めて多くの観光客が街中を散策される光景が見受けられるようになりました。貴船区では、勇壮な貴船山と同時に、区の中ほどに文殊地蔵さんがあります。この地蔵尊は、厄除けや子宝に恵まれるとして信仰を集めています。また、区内では各家が持ち回りで、毎朝茶香を供え区内の安全を祈っています。

出し物の由来

江戸時代の祇園祭には、古い記録が少ないが近隣の区と合同で練り子を出している。明治に入ってからは、丸太材で神輿を組んで松の木を立て、手ぬぐい等を吊るして幕を張り、それを若者が担ぎ、子供達が引っ張りお宮入、各町内を練り回りました。現在の貴船山は、明治 35年に白木造りで建造され、昭和 25年には出囃子の新調、毛槍の修繕、大太鼓・小太鼓の修繕等があり、昭和 49年には 2カ年かけて大改造を行うと共に、毛槍・見送り等が新調され、昭和 56年には金具も立派に改装されました。

平成 22年には、貴船山保存会を発展的に解消し、新たな祭礼委員会をを発足させ現在に至る。また、貴船区にはお祭り以外のイベントへも積極的に参加しています。

・京都区船神社例祭・保育園のお別れ会・老人ホームへの慰問・地域づくり団体全国研究交流会 等

出し物のみどころ

貴船山は、勇壮な白木の曳山で、かつ小浜の曳山の中では大きな山車です。囃子の曲は、道曳きとお宮入の曲で 9曲、子供達が前に出て小太鼓を打つ出囃子の曲が 5曲あります。一部を紹介すると、道曳きの中で獅子は他の区とすれ違う際に吹く戦闘的な曲で囃子も観衆も盛り上がります。大小蘭・兵蔵・毛槍はスローテンポで優雅な曲調を奏でる。お宮入には、神子の舞で盛り上がったところで攻めに入り、最後に子供達が前に出て三輪または津島くずしを奉納する。

貴船山の笛は、太棹でもって何処に居ても居場所が分かる位豪快な音色である。また、太鼓についても定評のあるバチさばきで、掛け声を含め伝統ある貴船囃子で、街中を巡行、披露する。道曳き途中、他の区と出会うと積極的に打ち合いを挑むのも貴船区の特徴です。又、本日に向けての稽古も、他区に先駆けお盆が過ぎると青年を中心に自主的に開始します。

少子化、過疎化でメンバーが減少する中、区内より近に引越された人も協力して応援に駆けつけてくれます。区民全体で盛り上がる放生祭です。

私と放生祭

大島久男(79歳)

明治三十五年頃には、貴船区に多くの職人、大工、鍜屋、車屋等、居住していた。その職人達の技術と工夫が活かされ、明治三十五年に白木造で「貴船山」として建造された。昭和二十五年には出囃子台の新調・毛槍・太鼓等が修理されました。

当時の山車は、組立式で祭礼本日前に大工さんの指揮の元に組み立てる。自分もこの頃より青年会のお手伝いするようになり準備作業から始めました。まず乾燥している車(4つ)を公園の川につけて軟らかくし、金輪を填め込む(焼き入れ)作業が始まり、山車の土台廻りの点検を済まし車の心棒のグリスアップをし出陣を迎える。当時の道路は砂利道もあり進行途中に動かなくなることもあり、その時は、樫の木で作った梃子を車に差し込み持ち上げて動かす。また、電線を引っかけないようにY型の竿で持ち上げる作業がある。半日も過ごすと車輪が「ギギー」とおとを立てる。グリスアップしてやる。また、毛槍を折ることもあり応急処置を施す。

年を重ねる度、老朽化し、運航に不安な個所も目立つ。昭和四十九年~五十一年にかけて、出囃子台・毛槍・見送り・土台廻り・装飾金具等の大改造をし、一回り大きくなり、当区独特の囃子と一体し、優雅な容姿で巡行し披露することが出来る様になりました。優雅な舞台裏には労力があり、何事も優雅な裏には労がある事を忘れてはならない。

貴船区