区のみどころ

津島区は江戸時代の中頃から大正の頃まで北前船で大賑わいだった。廻船問屋や造船所が軒を連ね川岸なは土蔵が建ち並んでいた。今でもその名残があります。

昭和の時代には魚市場(現チャンネルO)があり活況に溢れていた。今はその当時から利用されていた湧水が「津島名水」として福井県のおいしい水に認定されている。

かわそさん(六月祓神社)は、多賀区と共に祭礼が執り行われ例祭前後には「ヨーシタ」の掛け声とともに神様を送り迎えをしている。

出し物の由来

江戸時代の祇園祭礼では、川崎町は寛文十一年(1671年)は木賊のねり子、延宝七年(1679年)は木賊山を、安政五年(1858年)には松本町は長刀、川崎町は俵藤太のねり子を出し物としていた。明治七年(1874年)の区割編成によって従来の松本町と川崎町の一部が合併して津島区となる。

神楽の曲の優雅さ、行列の風流さに先人は心を引かれ新たに「神楽」と決め、その本家に当たる鹿島区より伝授して頂いた。当時の神楽は、昭和三年(1928年)御大曲記念を機に新調し、本屋台(形)、先屋台(形)ともに白木であったが、昭和二十四年(1959年)に大修理をして、本漆塗り、飾り金具、らんま等で飾り付けた豪華な屋台となり現在に至っている。

出し物のみどころ

当区の神楽は、十数曲からなり、巡行はまず揚げばい曲に始まり、時に頭笛が曲を変えていくのが行列としての常である。又、本陣では囃子太鼓(小太鼓)は 2名で先屋台に座り、三輪曲、津島曲を打ちとても優雅な音色を響かせている。「お宮入り」では、揚げばい曲から立ち上がり、漫ろ歩きで宮入り津島、攻めの曲と変わっていき八幡神社の大小の鳥居を潜り、本殿前に先屋台、本屋台を据え置き行列が二屋台を囲み掛け声と囃子で打ちまくり曲も最高の気運に達して終曲となる。

現在では、先人たちの心意気と伝統を継承して奉納できることを誇りに感じ精進している。

私と放生祭

田邊隆明(55歳)

八幡様の氏子として放生祭の出番の年になると早くから祭を待ちわびる子供の様に心躍るものである。一昨年の出番の年、明日から稽古という時に竜巻に襲われ津島区の 70%の家屋が何らかの被害を被った。当然、神楽囃子を奉納することは叶わず区民の誰もが寂しい思いをしました。今年は 4年ぶりの復活の年となりますが、一度休むと今までの様にはいかないものです。

どこの区も同じ様に少子高齢化で祭に出る子供が足りなく、経験豊かな人達が祭の巡行に参加できなくなってきています。新たな取り組み方必要かもしれません。

本来、神楽は優雅に囃子を奏でるものですが、津島の神楽は喧嘩神楽で山車を見つけると囃子を競い合ってきました。今年は少人数ですが稽古を積み重ね、放生祭に立派な囃子を奉納して津島区民の心意気を示したいものです。

津島区