区のみどころ

当区は、明治 7年に行われた区割改正によって洲崎町と川崎町が合併し多賀区となる。小浜の街の東部に位置し、活気あふれる人情豊かな区です。

区内には、何軒か商売されていますが、大半がサラリーマン家庭がほとんどです。 毎年の放生祭には、出番・休み番に関わらず、区民が楽しみにしている行事です。

出番時の運営は当区の祭礼委員会が当たりますが、壮青年会が中心になり実働してくれています。区民が一つとなります。多賀区は獅子舞を奉納しています。少子化で子供達が少なく獅子舞の継承が危ぶまれているのが現状です。

出し物の由来

我が区の獅子舞は、明治 41年 8月(1908年)旧関東組の「川越獅子」を継承した一番町より獅子舞の伝承を受け、今日の多賀区獅子舞の基礎となっています。この獅子舞を継承したのが多賀区と、他 3区あるが伝習した獅子舞を基にそれぞれの区が特色を出した舞いを八幡神社に奉納している。

多賀区は、獅子舞を 大・中・小の三組を有し、舞手の年齢に応じて演目を決めている。演技は、勇壮な舞いを心情としているが、その中にも優雅さと静けさを兼ね備えた舞である。笛方・舞い方共に諸先輩より教えを請い、よりよい獅子舞を奉納すべく精進を重ねている。

出し物のみどころ

演技は、老(白)・女(赤)・若(黒)獅子三頭の舞が 序・破・急の三段となぅており、笛・太鼓・舞の全ての気合いを揃えて打蹴ながら約 一時間半の一庭を納めるも、後年には一時間半の舞を三つに区切りにして舞っていたが、昭和 51年に当時の師匠・青年を中心に古老より習い一庭の舞を復活させた。

舞いの中に、雌獅子を取り合う場面があり雄獅子同士が喧嘩をする舞いがあり勇壮かつ厳かな舞いが見ものである。また、演技中に場面によって歌が唄われますが、全て平安朝の短歌から出た古調で緩やかな節が面白く唄われている。

服装は、先頭に立つ警固は、一文字傘・裃に帯刀・割れ竹を持つ。獅子追い 陣羽織・白の手甲・たちつけ・草履履きの出で立ち。笛方は、黄紋付(区ロゴ入り)・角帯・利休の下駄・菅笠に水引(赤)を下げる。舞い方は、区ロゴ入り浴衣に角帯・草履・太鼓は胸と腹の中間あたりに締め付ける。獅子後見人は、ロゴ入り浴衣・陣羽織・たちつけ・白足袋・草履・細い杖・網笠。行列は先頭に警固・獅子追い・笛方衆・獅子舞手・後見人の順で巡行するものである。                                 

私と放生祭

吉岡勇樹(11歳)

放生祭では、ぼくの住んでいる多賀区は三人一組のししまいをおどります。夏休みの終わりになると、1年おきににぎやかなけいこの音がひびきます。幼ち園の頃、ぼくの家にはミルクのかんで作ったたいこがありました。お兄ちゃんやお姉ちゃんがししのけいこに行く時、ぼくも当たり前のようにそのにせもののたいこを付けて見に行っていました。早く本物を付けたいと思っていました。

小学 2年生になり、初めて本物もののたいこを付けてもらい大きなししの頭をかぶりました。たいこのたたき方も足の動きも難しいし、頭は重いし、大変だったけどなんだか大人になったような気分でした。あまりのきんちょうで少し失敗してしまいましたが、最後までやりきるととてもうれしくなりました。

ぼくは、多賀のししまいがとても好きなんだけど、今は、子どもの人数が少なくてししまいができなくなるんじゃないかととても心配です。でもぼくは、次の 6年生でも大きくなっても多賀のししまいの伝統を引き継いでがんばりたいと思います。

多賀区