区のみどころ

当区は小浜地区の東部に位置し、昔は海岸に面しており海水浴場として多くの人で賑わっていた。現在では、海岸は埋め立て地(川崎町)となり、そこにこども園やフィッシャーマンズ・ワーフなどの施設ができている。

世帯数50軒に満たない小さな区であり、高齢者世帯も増えてきている。しかし、区民同士の結束は固く、地区民体育大会で2度優勝したり、放生祭では区民総出で運営したりするなど、区全体で行事や祭りを盛り上げるという意識は高い。

出し物の由来

江戸時代(寛文~安政)は、広峰神社の祇園祭りに塩屋町が「弓鉄砲持ち」の練り子、北本町は傘鉾を出していたと伝えられている。

明治7年の町名改正により、塩屋町と北本町が併合して現在の鈴鹿区となった。明治以後、氏子の地域割りが変わったことから広峰神社から八幡神社の祭礼に移り、明治28年以降は「だんじり太鼓」を奉納している。

明治43年に西津福谷から技の指導を受け、翌年の明治44年に屋形および付属品を新調したことで現在の大太鼓の形となった。元々は屋形に乗せた太鼓を担いでいたが、今は台車に乗せるようになっている。昭和61年に大太鼓を新調し、それに伴い平成2年に屋形を新調して現在に至っている。

現在の大太鼓奉納区(5区)では、住吉区に次ぐ伝統を誇る。

出し物のみどころ

当区の大太鼓は「力太鼓」といわれ、両手を大きく振り上げて打つ勇壮な姿が特徴的である。なかでも八幡神社や各区の本陣に入るときに打つ「あげ太鼓」の力強くかつ細かなバイさばきは高い評価を得ている。また、曲太鼓である「棒振りくずし」の流れるような動きや、二人一組の「棒振り」の豪快な演技も必見である。

さらに、平成元年に創作した曲「冬凪(ふゆなぎ)」は、冬の海の静から動に移るイメージを表現したもので、当区が持つ技の粋を集めた曲である。

一方、美しい屋形や太鼓も見どころの一つである。屋形は平成2年に京都の業者に依頼して製作したもので、黒漆塗に彫金を施した優美な雰囲気を漂わせている。特に、屋根は和紙を使った障子屋根であり、伝統を誇る当区のシンボルである。

また、木目が美しい直径2尺5寸(約75㎝)の大太鼓は、その革に打ち手の血が染みついており、力太鼓の激しい打ち込みを伺うことができる。

私と放生祭

辻 沙穂(29歳)

鐘の音、太鼓の響き、お囃子。聞こえてくると血沸き肉躍る。私にとっての放生祭は、1年で一番興奮する大切な行事です。子供のころ、地区の同年代の友達、お兄ちゃん、お姉ちゃん達や、大人の人と祭の稽古を通じて交流できることが楽しく、そして、大太鼓をたたくのが何よりの喜びでした。(お菓子や金券も嬉しかった)

家でもどこでも練習をするくらい大太鼓が大好きで、音がすると血が騒いで居ても立ってもいられない。というのは今でも変わっていません。他の区に負けないように、そして自分の区が一番だと誇りを持っているのは皆さんも一緒だと思います。

高校生で参加したのが最後で、もう 10年以上の月日が経ちました。小浜の地を離れて生活していますが、地元に帰るのは決まって放生祭に合わせて、というくらいのお祭り好きです。今でも祭に出て太鼓を打ちたいという気持ちでいっぱいで、男に生まれてくれば良かったと毎年残念に思っています。

今後共、放生祭が盛大に行われて、各区が良き伝統を後世に継承していって頂きたいというのことが私の思いです。

小浜が一番盛り上がる 2日間、これからも楽しみにしています。

鈴鹿区