区のみどころ

塩竈区は明治7年に魚屋町、安良町、本町、北本町の計105戸で誕生し、区名は陸奥一の宮「塩竈神社」に由来する。区には魚屋長の頃より「塩竈大社」「稲荷大名神」の社があり「塩竈さん」と愛称し、航海の安全、安産の神として信仰され、現在も7月15日の祭礼を大切に続けている。また江戸時代塩竈海岸を切戸といい、海からの玄関口の拠点で明治45年には大きな桟橋に改修され鉄道が敷設される迄、区内も旅人の往来や宿泊客で賑わったと思われる。

出し物の由来

塩竈区だしもの「高砂山」の歴史は、5代将軍徳川綱吉の江戸時代にさかのぼる。延宝8年(1680)に初代の山車を作り、「湯立山」と呼び巡行していたが、享保4年(1719)に富沢町(生玉)から出火した大火により焼失した。2代目は明治34年(1901)に作り「松山」と呼び白木の山車で巡行していたが、その後大正5年(1916)に大改造を行い、2階を滑車とロープで1階に収める可動式にしたと記録されている。名実共に「高砂山」と呼び区のシンボルである山車に改装されたのは、昭和2年(1927)に漆塗や装飾金具、彫り物を施し、尉と姥を配した「高砂」の図の見送りと「昇り龍」「降り龍」の図の横幕を新調した時である。その後平成14年(2002)に「八咫鳥」「兎」の図を旗印にした毛槍を新調し現在に至っている。

出し物のみどころ

是非じっくりと区のシンボルである「高砂山」を見て頂きたい。漆塗は若狭塗の名工本間氏、装飾金具、彫り物は彦根市の名工桑原氏により丹念に作られ、現在でも黒光する漆塗や精巧な紋様の装飾金具、彫り物は美しく、また見送りの尉と姥を配した「高砂」の図には長寿、夫婦和合、平和を、横幕の「昇り龍」「降り龍」の図には飛躍、成功、安心、安全を祈願する先人の区民を思う思いが込められた図柄であり、織物は日本の伝統技術である京都西陣の爪掻本綴織で織られ、外縁、紋、図柄と一枚で織られている物は「高砂山」の見送り、横幕のみである。この織り方は一日5mm程度と大変精密であり珍しく文化財に等しく後世に残してほしいと専門化よりお褒めを頂いている。囃子は、道曳と一調があり計23曲を数え、笛、小太鼓、大太鼓でリズムを取り勇壮かつ優雅な曲を披露する、この様に歴史と伝統のある古き良き物「高砂山」を区の遺産として後世に継承していきたいと努力している。

私と放生祭

斎藤市郎(62歳)

「囃子せえよ!」、「ちゃんと座れ!」。ちょっとでも気を抜くと、すかさず飛んでくる先輩の声。宿題がまだたっぷり残り結構イライラした中、「何で叱られんとあかんのや」と思いながらも「いーや」「おい」とやけくそになって声を張り上げる。まだ残暑の厳しい中、多くの子供達が集う放生祭の稽古場でのワンショットです。

あれから半世紀、祭囃子が町中で聞こえるこの時期になると、鮮烈に甦る思い出です。一日 2回も出番があればラッキーと思えた私たちから、一日最低でも 5回は出なければならない今の子供達。

一番前に座ってとか、御幣持ちがうれしかった私たちから、ほとんど笛吹きの大人しか見られないとか、御幣持ちのロボットが要るのではと冗談が本気とも取れそうな今どきの世間話。時代は移り変わっても、私の原点はあの時の先輩の声。学校や家庭では得られない貴重な社会勉強の場、先輩と同じ事は出来ないけれど、気持ちだけは伝えていければと思うのは私一人ではないはず。これからもしっかりと伝えていきたい。

塩竈区