区のみどころ

かっては、商業の中心であり区内に 3つの金融機関があったが今は郵便局を残すのみである。昭和の終わりまでに玉前商店街として繁栄し、平成の時代になり隣区の本町商店街と合併し平成通り商店街として現在に至っている。

祭りの出番の際は、区内の空き店舗をお借りして毎晩遅くまで稽古を行っている。

稽古終了後は大人達が毎晩懇親会を開き祭の話にを中心に和気藹々と他区では見られない雰囲気で親睦を深めている。

出し物の由来

玉前区の獅子舞は、武州川越石原町観音寺祭礼に演舞されたもので、原名を編木「ささら」獅子と呼び昔時の田楽の余風を伝えたものという。

旧小浜藩祖 酒井忠勝公が川越藩在城中、これを深く愛好され、小浜城主に国替えの際、舞人 30余人の者を当地に召し連れ、竹原(現在の関区)に一廓設け、住宅と扶持米を与えて関東組と称し、準士族の地位に置き、藩主産土神広嶺神社祭礼及び城内の祝典のみ演舞し明治維新まで続いた。

明治 7年の町名改正以前は「瀬木町」「新町」「塩浜小路」より成り立ち「大黒山」を出していたが火災により焼失。現在、玉前区に残る「大黒面」はこの「大黒山」のものである。廃藩置県に伴い、一時廃絶していた獅子舞を他区に先駆けて明治 24年に旧関東組の士族より習い受けたものである。以来、新旧合わせて大人獅子 2組、子供獅子 2組 計 4組にて今日まで伝承している。

出し物のみどころ

関東地方に多く見られる単調素朴で土俗な演舞と異なり、極めて洗練された芸能的なところにある。胸高に着けた締め太鼓、その撥使い、カーンと突き抜けるような太鼓の音、3匹獅子の手の舞い、足のさばきなどが一糸の乱れもなく揃っている。また、玉前の暴れ獅子と異名があるほど爪先き立ちで舞い、姿を大きく見せ、動作も華やかで

雄の老獅子(白獅子)と若獅子(黒獅子)が雌獅子(赤獅子)をめぐって激しく争うが、最後には仲直りで友連れの舞で収めるというメリハリの利いた序破急で全体の起承転結のストーリー性などが見所となっている。

私と放生祭

羽田浩一(52歳)

私が初めて放生祭に出演させて頂いたのは小学 4年の時で、とにかく獅子舞が好きで、それは大人になって小浜に帰ってきた時も変わらずで、もっとのめり込んでいった様に思います。それが高じて「明日の放生祭を考える会」に入り「お囃子会」、他の獅子区との共演等の企画をいたしました。今までじっくりと見た事の無かった他区の獅子舞を見て刺激を受けたり、多くの観客に見て頂く喜びを感じました。

昨今、地方でも人間関係が薄れていますが、祭がある事で区民が大家族になれるのです。一つの目的に向かって区民一丸となり成し遂げる。子供からお年寄りまで本当に全区民上げての祭りです。

小浜地区民にとって放生祭は切っても切れないものなのです。その小浜地区民にとって掛け替えのない放生祭の伝統文化を今後も永久に引き継いでいってほしいと願っています。

玉前区