区のみどころ

市街地、小浜地区のほぼ中央に位置する今宮区、そのど真ん中の十字路に市蛭子神社が鎮座されます。市蛭子神社は、1600年初頭に建立され、以来、商売繁盛、家内安全の守護神として人々の信仰を集めてきました。例祭は前日の夕刻「おーんまいや、おんまいや、えーべっさんのおんまいや!」と子供達の掛け声、ふれ太鼓に始まり、7月 20日に執り行われ区内外の参拝者で賑わいます。

出し物の由来

江戸時代の小浜祇園会祭礼において、享保 5年(1720年)以前から上市場、下市場が「高砂山」(後年に安居町が加入)、また享保末(1730年)頃には、突抜町の「行者山」が出ていた記録が残っています。

幕末から明治初期にかけ、幾度かの火災によって 2基の山車は消失しましたが、主要な装飾品は分散保管により類焼を免れました。                                         

現在の「今宮山」は「高砂山」「行者山」の装飾品を受け継ぐほか、今宮区民(明治 7年の町名改正により上市場、下市場、安居町、突抜町をまとめ今宮区となる)の熱意、努力により「昭和 3年 5月 12日当区中央市蛭子神社前ニテ盛大ナル落成式ヲ挙行シ、(中略)大祝祭ニ練衡シ秋祭礼に一大偉観ヲ呈セリ(今宮記録から抜粋)」と復興されました。この折、京都今宮神社に代表が参詣し、「今宮山」との命名や金物その他に同社御定紋(三階松)の使用許可を得、併せて山車に掲げる額も今宮神社社司に揮毛いただいたものです。

出し物のみどころ

「今宮山」は、唐破風の屋根や後輪に御所車など優雅な山車で、特に、毛槍を高く揚げて道行く姿は人々の目を奪います。木製彫刻に金箔加工の山下行、胴巻、簾、金具等「高砂山」「行者山」の装飾品も随所に用い、出囃子の上り竜、下り竜の左右の柱は「行者山」のもので美術工芸品としても素晴らしいものです。なお、「高砂山」から受け継ぐ見送り幕は平成 22年 9月に復元新調しました。

山車は、八幡神社、各区本陣、巡行等で、笛、小太鼓、大太鼓を奏でますが、笛に合わせ子供が小太鼓を打つ囃子は 10曲あり、荘重な「宇治橋」、伸びやかな「松」が代表的です。成人の道引きは、勇壮な「獅子」等十数曲から場所、場面に応じて曲を奏でますが、近年復活の「明月」ほか「乱笛」は風雅な調です。参道の住吉橋から神社境内まで「神子の舞」による宮入の様は圧巻です。祭礼初日、提灯を灯して道行く宵山は、昼間と違った趣を醸し出します。

祭礼両日、今宮本陣は「行者山」の行者人形や節なし竹を簾編みにし、極採色で花鳥を描く見送幕、文化 6年(1809年)に京都から購入したとされる「高砂山」の綴織仙人図の見送幕をまつります。

私と放生祭

津田信一(63歳)

私の放生祭は、子供のころの思い出から始まります。戦後のベビーブームの最後のほうでしたから、区内には多くの子供がおりました。出番の時には普段、叱るときにしか存在感のない父親が自分の事のように練習に付き添い、何度も何度も出来るまで根気よく教えてくれた事、母親、兄弟、御爺さん御婆さんまで一家が全員で練習を見守ってくれた事、教えて頂く師匠の方が怖い顔をしながらも根気強く何度も教えてくれた事が強く記憶に残っています。 本日(ほんび)には、小学校に登校したら、黒板に出席だけ書いて帰宅、帰って直ぐに着物を着て山車に乗せてもらえことが太鼓を叩くことより嬉しかった事が記憶にあります。その時は子供が多い時代でもありましたので、交代制で乗せてもらえる時間が少なかったので更に楽しみだったのでしょう。

放生祭は、家族全員が、区内全員が一つになる機会としては昔も、今も、今後も引き継がれていくべきものと思っております。

少子化による子供の減少、高齢化による区内の軒数の減少による人口減がどの区でも近年特に加速しております。いずれ一つの区だけで持ち続けることも難しくなりますでしょう。これも今後の課題です。昔から親しまれ、地区内の融和とコンセンサスを保つ伝統芸能の良い面をずっと保ち続けられるよう微力ながらお手伝いをしつつ、次の代でも同じように続けていってもらえることを祈念いたしております。

今宮区