区のみどころ

現在の竜田区は、明治維新の廃藩置県に倣って明治 27年に、今在家・材木町・松寺小路の三地区が合併したものである。

お寺が多く西へおよそ等間隔に 11軒に及ぶ。その中に、本境寺があり、当地の豪商組屋六郎左衛門の外護を得て建立され歴代の墓がある。寺はその裏が繋がっており、合戦という時に石碑を盾に戦うという備えと思われる。その表通りは、T字路、L字路が多く、十字路は少ない。これも戦略上の知恵だろう。現在は、閑静な町並みと、駅通りは商店街で人通りが多く賑わっている。

出し物の由来

放生祭の出し物は、現在の引き山車になる明治 35年までは、遅歩子(ねりこ)を出していました。明治 35年に、区民の有志が中心になり、大工清水金蔵の手により寝殿造風の山車が建造されました。この山車は伝説上のの人物「武内宿禰」(たけのうちすくね)を体し「大臣山」(おとどやま)と命名されております。武内宿彌とは、八幡神社の祭神である神功皇后・応神天皇(神功皇后の皇子)に仕え、応神天皇ご誕生のころより養育全般を任せられたほどの信頼を受けていた人物だったと伝わっています。この信頼性や功績による尊称の大臣(おとど)と呼ばれたと伝えられています。この故に、竜田区の山車を「大臣山」(おとどやま)と命名する所似であります。

出し物のみどころ

この「大臣山」は、明治 35年建造以来、百十数年を数えるが、現在に至るまで度々の改良を加えて維持されている。戦後の 70年間、昭和 27年の基礎土台、台輪及び車輪の新調に始まり、欄干等への金飾り、見送り幕や胴横幕、毛槍と「忠孝」「仁義」の旗及びその他の彫刻等も同時期に揃えられた。同 29年出囃子台を新築、この年より子供の小太鼓囃子の披露が始まる。

同 56年出囃子台に唐破風屋根を新築する。平成 13年、綴織の見送りに刺繍造りの胴横幕一対を新調。それに伴い各種の房等も新調する。見送りの図柄は大臣山が奉る武内宿彌が赤子の応神天皇を抱き、竜田川に紅葉を背景にした立ち姿。また、胴横幕の図は風神雷神である。同 15年車輪を﨔で新造、同 16年車輪の友木﨔を用いて本陣構えを新調する。平成 25年の伊勢神宮式年遷宮により生まれ変わる古材を下賜して頂き、平成 27年これを使って山車の台輪を新築した。ここに大臣山は御神木を台輪に持つ山車となった。

私の放生祭

小浜中学校3年生 

2年に 1度出番がある放生祭は、毎年あるような花火大会やイベントなどと違い、私にとっては特別な祭りです。2年に 1度の出番なので、出番ではない年の時は他の地区の出し物を見て早く来年になってほしいと思っています。

祭の練習が始まると普段ではあまり会わない人や、話す機会がない人との交流があります。こうして、地域の人との繋がりが深まっていくことが出来るのだと思います。

当日、太鼓を叩くことのない区民の方たちにも協力して山車を引いてもらっています。中学生になり、難しい曲もありますが、みなさんに協力してもらうことを思い、しっかり練習をして本番を迎えたいです。そして、今年もたくさんの大人の方々にお世話になり、当日は朝早くから夜遅くまでになりますが、楽しんでにぎやかな祭りができるようにしたいです。

竜田区