区のみどころ

飛鳥区は、市内西のはずれにあり、町制改正(明治 7年)以前は、柳町・漁師町・寺町からなる三丁町と呼ばれる 元茶屋町界隈に位置します。町屋整備も行われて、昔ながらの町割りを残しつつ、紅殻格子など風情漂う家並みが軒を連ねています。

出し物の由来

大正 3年飛鳥区舞踊の山車として建造され、芸子の見習い、舞子、業界の娘たちをして舞踊の練習に励み、祭礼に披露したものです。俗に、三丁町の山車として人気を博しました。昭和 12年 9月の放生祭を最後に、戦争勃発により昭和 25年まで中止されていましたが、昭和 26年 5月八幡神社上葺を祝して戦後初めての大祭として、全区挙げての動員となり、校区も即席特訓で小学低学年の女子に舞踊を教え、高学年には囃子を習わせ出場した次第です。その後、女子が居ない年もあり、男子に剣舞を習得させ、祭に出場し披露したのですが、以来、女山車としてきた。当区の山車に男女混合にして舞踊を習わせ、各年ごとの放生祭し出場してきました。

少子高齢化にもより、近年は、区外にも出演を依頼し、舞踊・囃子に係る様々な準備を区民で行い、出場を果たしているところです。

出し物のみどころ

山車の中で、唯一子供の舞踏を披露して市中を回る特異の存在を示しています。披露の場では見物客が黒山の如く、群がるほどの人気があります。

みどころは、何と言っても小さな子供達が一生懸命に舞う姿でしょう。夏休み中に猛稽古をし、成果をお祭り当日に精一杯披露する姿には感動を覚える市民も少なくないと聞きます。聴きどころは、山車の道行きで聴かせる囃子です。京都の師匠に教わった曲で、生きを「浅妻の曲」、帰りは「雛鶴三番叟の曲」と名が付いており、三丁町の山車にふさわしい優雅な雰囲気の調べである。

私と放生祭

三宅寿幸(49歳)

宮入が終わるとすでにまわりは薄暗く踊り子の私は山車に乗せられ帰路についていました。提灯には灯りが点されゆらゆらとゆれていました。今日も何回、踊ったかわからなかったけれど疲れているはずなのに囃子のお兄さん、お姉さんと一緒に大きな声で「はーおっ」「よーいっ」と掛け声を出していました。動いている山車に乗れるのはこの時ばかりで同級生のみんなも楽しそうに大きな声を出していました。

放生祭 当日の朝は、5時くらいに起こされて眠い目をこすりながら庚申堂に連れられて行かれます。踊り子なので化粧をされるのですが、まず、「おしろい」をぬられます。おしろいは冷たくてぬられた瞬間「ひゃーっ」と声を上げるほどでそれで目が覚めました。化粧が終わって鏡を見ると「えっ誰なん?」という感じでした。

夏休み中、練習をしていたので山車の上で踊ることに恥ずかしさは無く、むしろどうだという感じで誇らしげでもありました。あれから 42年、今年は自分の娘が山車の上で踊りを披露します。

飛鳥区